韓国生活

韓国生活での日常を思いのままに綴るブログ

ピアノと私と。

韓国生活も8年目。

丸7年経過した。

 

高校卒業と同時に親元を離れてから今まで、同じ肩書きで7年も過ごしたことがなかっただけに、外国でこんな長く、しかも同じ土地で、生活を続けていることに驚いている。

 

大学で4年間、就職して4年、アメリカで一年、帰国して一年半、東京の会社で5年、そして韓国で7年(端数切り捨て)

 

結婚前までは、それらの生活、住んでいる場所は一時的なものだと捉えていたから、あまり住の環境を整えたりしてこなかった。それ以前に、大学生化や仕事など、家の外で過ごす時間の方が圧倒的に多かった。

 

元々他人であった夫と7年も生活を共にしていることに驚いている。もちろん、娘が生まれたり、引っ越しをしたり、生活は少しずつ変化しているものの、これからも私の生活拠点は夫と築いてきた家族のいる韓国だと思うと不思議でならない。刺激を自然と求めて、環境が目まぐるしく変わっていった二十代、三十代前半とは打って変わって、今は心安らげる帰るべき場所である韓国の家を大切にしたいと思うようになっている。

 

そんな私の今年の誕生日に夫がピアノを買ってくれた。ホワイトベージュの電子ピアノだ。

 

ピアノに関しては小さな頃からの憧れとトラウマがあって、自分に使えるお金が今より多かった独身時代ならそれほど無理せずに買える金額だったのにも関わらず手を出さずにいた。

 

手に入れたとしても、ピアノのテクニックもなければ、練習する時間もない。そして、これからどうなるか分からない自分の人生に物理的に大きなピアノを家に持ち込むことで、身動きが取れなくなってしまうのが怖かったから。

 

現に、私は結婚で韓国に来たので、もしも当時ピアノを持っていたら、渡韓のためにそれを手放すことになっていただろう。一度手放したのに、また韓国でピアノを買う気持ちになるのかも分からなかったから、当時のピアノは買わないと言う判断は間違ってはいなかった。

 

ピアノと私の幼少期にまつわる話は、客観的にみれば、実際は大したことないのだけど、当事者の私には、今思い出すと切なくて、悲しくて、少しうるっとしてしまうことがある。具体的にはまた改めて書くとして、そんな幼少期の私の話を知っている夫が今年の誕生日にプレゼントしてくれたのが、ピアノだったのだ。

 

ピアノという、動かすことが難しいものが我が家にやってきた。ピアノを買ったということは、私にとっては、ここに腰を据えることも意味している。そこまで構える必要はないのかもしれないけれど、ピアノに憧れて30年以上の歳月が流れて今ここにピアノがあることは、私にとって特別で意味のあることなのは間違いない。

 

娘がピアノを習いたいというかも知れない。

 

私は気が向いた時に弾いてみるかもしれない。

 

単なるインテリアの一部と化すかもしれない。

 

ピアノが我が家にどう溶け込んでいくのか、これからが少し楽しみになってきた。

 

 

たまに、大きな夫婦喧嘩もするけど、不器用ながらも私のことを大事にしてくれる夫にはとても感謝している。優しい人なんです。